続・江戸の話 百十三


女扮編。今回は「かもじ」の話の続きである。前回は『嬉遊笑覧』の引用で終わっていた。ここからは守貞の見解である。
「守貞曰古髲和名加都良なる者は今の加文字にて添とも云は自髪に添助るの意にて乃ち仮髪也加文字髢字を用ふ仮髻は髷にのみ添る髪歟」
とある。守貞の見解では、昔の「髲(かつら)」は今で言う「かもじ」であって、「添(そえ・すえ)」とも言う。これは、自分の髪に添え助けるという意味であり、仮髪のことである。「かもじ」は「髢」とも書くと言う。そして「仮髻」は「かもじ」の中でも、髻(もとどり)にのみ添える髪を指すのだろうか、と判断を保留する。
「今京坂の男子曲を刷毛中に短き仮髪を納る人あり江戸には不用之是仮髻和名須恵と云者に近し今は曲の心と云或は竹串木串等を以て代之もあり」
とある。京都大阪の男性は、髻の先に仮髪を用いる者があり、これが「仮髻」「須恵」に近いとする。おそらくは形を整えるためであろう。「曲(髷)の心」とも言い、竹や木の串を用いることもあったと言う。
「昔のおちやなひは落髪は無乎の略語也今世無此業而も紙屑に雑る等を集め或は梳夫よりも買集むなるべし蓋梳夫のは男髪にて短き故に髢鬘等には不用歟又鄙にはかもじかつらともに用之こと稀故に落髪都会に集て多くの中り長きを択用ふなるべし」
とある。「おちゃない」は「落髪はないか」の略であって、守貞の頃には既になかったが、これは、紙くずに混じったものや髪梳きから買い集めて作成するようになったからであろう。ただし、髪梳から買い集めるにしても、男髪は短いから、鬘には用いられないであろうとする。都市部外では、かもじ・かつらを用いること自体稀であり、都会への落髪の供給地となり、長い髪は、そうした中から選り分けられたと推測する。
「今世の鬘和訓加都良は劇場の具也落髪を蓑の如く編並べて是を銅製のかむり物に植るなり銅のかむり物図の如く是女扮の形なり数の小孔を穿ちて髪をうゆるなり髷鬢髩等扮に応て結之老嫗には白髪もあり」

とある。守貞の頃、「かつら」と言えば劇場で用いる道具であり、落髪を蓑状に編み、これを銅製のかむり物に植え付けて用いた。守貞が「女扮の形」とするのは、上図右である。左は男扮用で、月代部分に違いが見られる。
「女形のかつら鬢髩髷ともに其扮に応じて大略其時機を用ふ然れども亦時様と異なる物もあり又男女ともに真より大形に結ふ也櫛簪も准之 又女形のかつら多くは前髪なし代之に紫の額帽子を以てす不用之真の額のはへぎはの如く髪毛を植たるを羽二重かつらと云貴価也稀に用之」
とある。劇場での女扮用のかつら、つまり女形用のかつらは、その扮装目的によって、様々に作成される。基本的には、同時代の風俗に従うのであるが、例外はある。また、女扮用に限らず、現実よりも大形に結び、櫛や簪も大形である。舞台は現実を再現する場ではないから、演出上の要求が優先されたものであろう。また、女形用のかるらは前髪はなく、代わりに紫の額帽子を用いる。前髪のある、生え際まで再現したかつらを「羽二重かつら」と言うが、高価であり、ほとんど用いられなかったと言う。紫の額帽子は、生え際を覆い隠す工夫ということになろう。
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    続・江戸の話 百十三


     女扮編。今回は「かもじ」の話である。
    「加文字 今世仮髪をかもじと云こと女中和詞に烏賊をいもじ蛸をた文字と云の例也然れば髪を加文字と云なるべし今は仮髪のみをかもじと云也」
    とある。「加文字(かもじ)」は仮髪のこと。女房言葉で烏賊を「いもじ」、蛸を「た文字」と言うように、髪のことを「かもじ」とのであろう。ただし守貞の頃には「髪」それ自体ではなく、仮髪のみ「かもじ」と呼んだようである。
    「今の加文字古はかつらと云也髲の字也髲和名抄釈名云髲音被和名加都良髪少者所以被助其髪也俗用鬘字非也又仮髻釈名云仮髻和名須恵以此覆髪上也」
    とある。「かもじ」は、古くは「かつら」と言い「髲」字を用い、俗用の「鬘」は誤りであるという。仮髪の中でも仮の髻(もとどり)を「須恵」と言う。
    「嬉遊曰釈名本には仮髪とある非也何れもいれがみと云ものなれども髻はもとヾりにて仮髪は今曲と云者の添也須恵とは末の義と見ゆ類聚雑要抄五節理髪の具に末額髪とあるも是なるべし」
    「又ゑびかつらのことを云へるも今略之今そへと云はすへの転訛と聞こゆ云々」
    と、『嬉遊笑覧』を引く。「仮髪」「仮髻」はいずれも「いれがみ」であるが、それぞれ別のもので、「仮髪」は曲(髷)に添えるもの、「須恵」は「末(すえ)」の意味であろう。今「そえ」と言うのは「すえ」から音がなまって変化したものであろう云々。
    「又曰職人尽におちやないは都の西常盤と云所より出るとかや女の頭に袋を戴きて髪の落を買ひかもじにして売買世渡る業とす夫をおちやなど云て昼の八つ時より出る也是古のかつら捻りと同じ今鬘屋はあれど落買と云者なり女の業に定りしもの故籠耳双子に男女所作の変れることを云て御池長者町(御池長者町今京の坊名)には男の洗濯綿つみありやがて女のかごかき男のおちやないも出べきにやと云るは有まじきを云しかどおちやなひこそなけれ」
    とある。『職人尽』に「おちゃない」という職業が見える。これは抜け落ちた髪を買い集めて「かもじ」として売るものである。これは古くは女性の職業だったようである。
    「夫と同業なる鬘ひねりは今のかつらやにて男の職となれり注曰昔も歌舞伎の鬘師は男也銅のかぶりものに仕付など女には叶はず云々」
    とある。「おちゃない」は「鬘屋」であって、鬘屋は男の職業である。何時しか、担い手が女性から男性に入れ替わったものらしい。ただし、古くから歌舞伎の鬘師は男性であって、近世になって突然に男性の専業となったものではないようである。

     次回も「かもじ」の話を続けよう。


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      続・江戸の話 百十二


       女扮編。今回は元結の話の続きである
      「我衣曰宝永より油元結店多く出たり元禄前より元結引ありと雖ども買人稀なる故に多くはなしと云々」
      とある。「油元結店」は伽羅油・元結の店の意であろう。元禄以前にも元結はあったが、購入して用いる者はあまり居らず店も多くはなかった。それが宝永年間以降、増加を見たようである。
      「男子の条にも亦こヽにも摎元結のことを専に云り其中こヽにはね元結と云は摎元結に非ず平鬠にて針銅を納れて上に反す故にはね元結と云也」
      とある。「はね元結」は、男扮編にも記した摎元結(こきもとゆい)とは異なるものである。摎元結は紙に撚りをかけて作成する。はね元結は、撚りをかけていない平元結の一種で、中に銅製の針金を入れ、上に反り返るように加工されている。この形状が、名称の由来でもある。
      「今の丈長紙は昔の平鬠の遺風也然れども平鬠は以之髪を束ねし也今のたけ長は摎元ゆひにて髪を束ねたる上に飾りとする而已也平鬠にも金銀等ありしと云然らば是れも摎元結の上にかけたる歟猶能可考今のたけながにも金銀赤黄青等種々あり」
      とある。「丈長」は平元結の一種である。ただし「遺風」とあるから、守貞の頃には古くの平元結は姿を消していたようである。「丈長」は、元結としての役割は既に期待されておらず、摎元結で髪を束ね整えた上に、飾りとして用いるものである。それ故に、「金銀赤黄青」等で装飾を加えた丈長が存在した。ただし平元結の頃にも金銀等で装飾したものもあったと言うから、これも丈長と同様に用いたのであろうかと、判断を保留している。
      「又昔は老夫の所用に細元結あり号てきんか鬠と云きんかは金革の下略にて老人の頭のはげて光る今のやかんと云を昔は金革に比したる名よりこれに用ふ鬠故にきんかと云也」
      とある。昔は老夫が用いる「細元結」というものがあった。名称通り、細いものであったのであろう。別名「きんかもとゆい」。守貞は「きんか」は「金革」の下略とする説を採る。禿げて光る、所謂やかん頭を「金革」に擬えた。それ故、そうした老夫に用いる細元結を「きんか(元結)」と言うと考察する。もっとも、完全に禿げてしまっては元結を用いる余地は無いから、なにがしかの髪は残っている場合に用いるものである。「細元結」という名から見て、残り少ない髪を束ねるのに相応の、細いものを指すのであろう。
      「今世は老人にも用之歟先専用之は稚女也今は訛てきんかん元結と云り金柑は果実の名なれば何に因て号之と思ひしに骨董集及び義明の女風俗考を見て金革のきんかと略し今きんかんと訛ることを知る」
      とある。きんか元結は、古くは老人ではなく、専ら稚女に用いたと言う。細い元結であれば、稚女の髪を束ねるには便利であろう。
       後段、守貞の話題は「きんか」に戻る。「きんか元結」、訛って「きんかん元結」と呼ばれることもあった様である。「きんかん(金柑)」では果実の名前であって、なぜそのように呼ぶのか疑問が生じた。そこで『骨董集』・義明(「(生川)春明」の誤)の『(近世)女風俗考』を読み、「金革」の略であり、それが「きんかん」に訛ったことを知ったという。金柑も毛はなく光沢はあるが、守貞には違和感があったのであろう。「きんかく」であれば、金属製の武器と革製の防具。この際、革は加工に際し毛は除かれる。「きんかわ」であれば金色にした革。これも加工に際して毛は除かれ、かつ金色であるから光る。いずれの読みでも、一応は「禿げ」と関連付けられよう。



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        続・江戸の話 百十一


        『守貞謾稿』女扮編。元結の話である。これもまた男扮編との重複がある。
        「元結 もとゆひ髻を結の意也鬠の字を用ふ式正には組緒を用ふを本とす故に今世縉紳家はこきもとゆひにて髷をゆひたれども其上に紫組の元結を掛けたり武家は将軍以下用之玉はず蓋是男子也 男子の条にも元結のことを云合せ見るべし」
        とある。元結(鬠・もとゆい)は、髻(もとどり)を結うの意であり、正式には組紐を用いる。そのため官位の高い者は髷を摎元結(こきもとゆい)で結い、その上に紫の組紐の元結を掛ける。ただし官位が高い者でも、将軍以下武家はこれを行わない、と言う。
        「後世民間にては紙捻を用ふ落穂集云今時もてはやし候文七元結と申物以前は無之上下ともに手前にてよりこきを致し用ひ申たる事にて候又独語曰婦人は麻縄を用ふ又世事談には若衆女の長く用ふるは平元結とて紙を一寸許りに裁て巻そへし也」
        とある。『落穂集』によれば、撚り元結の一である文七元結は以前には無く、各自自製していた。太宰春台『独語』によれば、婦人は荒縄で結っていた。『(本朝)世事談(綺)』によれば、若衆・女性は長らく撚り元結ではなく、紙を一寸程度の幅に切った平元結を髪に巻いていたという。
        「同書曰摎元結寛文の頃より起る紙捻を長く縷て水に浸し車にて縷を掛て水をしごく故にしごき元結也又文七元結と云あり是は紙の名也至て白く艶ある紙なれば此紙にて製するを上品とす云々又或云文七は元結を製する人の名其角が隣にて製之と云は非なるべし」
        とある。紙に撚りをかけた摎元結(こきもとゆい)は、寛文年間に始まる。水に浸し撚り、水を扱き除くことから、扱元結(しごきもとゆい)とも呼ばれた。文七元結はこうした撚り元結の一で、「文七」というのは紙の名称であり、白く艶があることから、この紙で製造したものは上品とされたと言う。「文七」は元結を製造した者の名であるという異説もあるようである。
        「武蔵国名物類の内に髻結根本江戸に初る今世京都大坂にて専ら作之はね元結今あるものは近頃の物と見へたり元は今云丈長紙のたちたるやうなるして結ひたる物歟其末上に反りたるさまの絵にかけるがあるは是也」
        とある。元結は江戸で始まったが、後には京都大阪で専ら製造されるようになったと言う。跳元結(はねもとゆい)は、元来は丈長紙をたたみ平元結とて用いたものであったようである。絵に、元結の端が反るように描かれているのが、それであると言う。
        「思ふに今半掛など児女子の云める是ははねかけにてはね元結のかけを省き云にや斯て後いろいろ染紙して造れるも出来つる也一代女金銀のはねもとゆひと云条あり云々」
        とある。「はね元結」から「かけ」を省くの意は詳らかではないが、児女の言う「半掛」は「はねかけ」の意であるらしい。跳元結は、後には染紙を用い造るものも現れた。『(好色)一代女』には「金銀のはねもとゆひ」という条がある、云々と。以上は出『嬉遊笑覧』である。金銀の跳元結は、紙製の跳元結を、金銀の泥箔で装飾したものであろう。


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          続・江戸の話 百十


           『守貞謾稿』女扮編。鬢付油の話である。前回同様、男扮編との重複もあるので、概略のみ追おう。
          「昔は大名旗本適用之女は更に不用之こと今と反す男子昔用之一年一二両前髪の者二月一両若一月一両用之者あれば衆人驚語る其後漸くに専用す」
          とある。かつては女性はあまり用いなかったものが、次第に女性が用いるように変化したようである。
          「其碩が賢女心粧と云ふ双紙に姑六十年以前のことを定規にして嫁の髪ゆふを見るに伽羅の油を付らるヽがあれば武家方の中間奴などが髪にぞ付る物なるに女のあたまに付るとはあまり気疎きこと也」
          とあり、其磧『賢女心化粧』描写は、姑は嫁が伽羅油を用いるのを、中間奴が用いるものであるとして厭うている。これは、女性の伽羅油使用が定着する間の世代差を反映したものであろう。
          「また数馬より僅に先に江戸麹町に谷島の主水と云芝居女形俳優開此店江戸伽羅油店祖とす」
          とある。江戸の知名の伽羅油店としては、前出の中村数馬の店の他、麹町に谷島主水の店があったという。
          「又古はあぶらわたと云を用ふ膏沢和名抄云沢釈名曰人髪恒枯悴以此令濡沢也俗用油綿二字(阿布良和太)莬玖波集にあぶらわたをさし油にしたりけるにいとかうばしく匂ひければ上東門院兵衛灯火はたきものにこそ似たりけれ待賢門院堀河丁字頭の香や匂ふらん古は綿に香油を浸し置て用ふるのみ也」
          とある。伽羅油以前には油綿を用いたという。これは香をつけた油に綿を浸したものである。伽羅油と異なり固練りではないので、綿を用いたものであろう。香付には丁字香等を用いたようである。
          「花乃露 一代男に云したるき女の顔花の露にて光らせたる云々嬉遊笑覧云此花の露と云物薬油にて面につやを出す物也彼一代男に芝神明前花の露や十左衛門と見へたり江戸鹿子に伽羅油や花のゆつや芝神明前大好庵堂門前町林喜左衛門とあり十左衛門と云はなきをしか云るは偽作也 今世は花の露或は菊の露又は江戸の水等の名あれども皆同製成べき諸々にて売之也製之家により名を異にするのみ也又今世坊間の婦女用之者稀也御殿女中には用之者往々有之硝子の小陶に入て売之」
          とある。「花之露」は男扮篇に髪油として見える。しかしここでは「女の顔花の露にて光らせたる」「面につやを出す物也」とあるり、顔に塗る薬油である。同名の異物ではなく、どちらの用途にも用い得るものだったのであろう。「花の露」の他に「菊の露」「江戸の水」等が販売されていたが製法は同じであり、製造元によって名は異にしただけだという。


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