13 tomorrow never knows


【王子離日】

明治二年(一八六九)八月十一日、エジンバラ公は「ガラティア」に座乗して横浜港を出発した。来航時と同様、神奈川砲台には英国旗を掲げられ、二十一発の祝砲を以て見送られた。八月十三日には神戸へ来着、続けて八月十四日に大阪へ赴いているが、この際に対応をしたのは井上馨である。天保山沖より蒸気船で接岸し、川舟にて大坂の英国公使館に送り届けた後、造幣局と大坂城址を見学させている。ただエジンバラ公は大坂には長期滞在せず、その日の内に神戸に向かい、更に長崎に来航したのは八月十九日であった。この際に対応したのは時の長崎県知事である野村盛秀である。この人物は慶応三年(一八六七)のパリ万国博覧会に際して薩摩側が独自に派遣した施設の随員の一人であった。エジンバラ公は長崎に三日ほど滞在したが、この間の動向の詳細については艦の補給や整備、茶菓による供応があったなど以外の詳細についは良く分かっていない。ともあれ八月二十二日、エジンバラ公は長崎より芝罘、現在の煙台へ向けて出発した。ここに約一ヶ月に渡る同公の日本滞在は終了したのである。

エジンバラ公が長崎へ来航した頃、ハリー・パークス英国公使は日本政府に対して、今回の英国王子に対する歓待に関して謝意を示す書簡を送付している。勿論、多分に「外交辞令」は含まれているであろうが、内容としては日本側の饗応に対する賛辞で満ちたものであった。この手紙の中でパークス公使は英国本国にも報告するとも述べており、その結果として後にヴィクトリア女王及びクラレンドン外相からも謝辞が送付されて来ている。英国王子の饗応は予定の目的を十分に達成し得たものであると言えるだろう。しかし、英国公使館の人々には休む間もなく墺国使節団の来日への対応という次の仕事が待っていた。ミッドフォード書記官の筆を借りるならば、日本政府の為におせっかいを焼き、交渉の手順を教えたり、日本語の通訳をあてがったりと火中の栗を拾うような厄介な苦労をせねばならなかったのである。そして、そのミッドフォード書記官も程なくして日本を去る。その帰路、彼の乗った船は丁度出来上がったばかりのスエズ運河を通過した。この後、現代に至るまで多くの船舶がこの運河を通り抜けて西洋と東洋を繋いでいく事になる。

【天酌下賜】

八月二十八日、大久保利通は常の如く仕事を終えた後、他の政府関係者らと共に明治天皇に召された。御殿に招かれた彼等に、先ず「今般の英国王子の来日に際しては骨折りであったと思う」との勅語があり、また酒肴を以て労われると共に、明治天皇自ら酌をして回った。更に小判五十両と印籠、更に羽二重の織物が一疋ずつ下賜されている。これは破格の事であったようで、大久保利通は同日条の日記に「夢の如き仕合せ」と書いている。この事から、日本側もまた今回の英国王子来日への対応は成功であったとの認識を持っていたと見る事が出来るであろう。事実、これを嚆矢として訪日する外国からの賓客は激増した。英国王室は言うに及ばず、明治期だけで外国王族ならびに貴族の来日は六十三件を数え、その内訳も実に多彩なものとなっている。これらの儀典外交は欧州諸国をして日本を文明国と認識させる上で大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。尚、この中にはかの大津事件で有名なニコライ皇太子の来日も含まれる事になるが、それはまた別の話としたい。

【エピローグ】

明治三十九年(一九〇六)、アルジャーノン・ミッドフォードは再び日本の土を踏んだ。この頃、既に日本は大英帝国の同盟国であり、この前年には日露戦争に勝利を収めている。この時、天皇と会見したミッドフォードの胸中には明治二年(一八六九)の皇居訪問の事が去来していたという。西洋と東洋の相違が鮮やかに際立ち、宛ら太古の時代の絵から抜け出してきたような天皇とその宮廷と評した嘗ての姿はは既にない。あの若く内気な天皇は既に「明治大帝」としての威厳に満ちて玉座にあり、文武百官は大礼服に身を包み、様々な勲章でその胸を飾っている。婦人たちは豪華な宝冠と瀟洒ドレスを纏っていた。彼が青春の一時期を過ごしたあの日本は遥か昔日の物となっており、今まさに大日本帝国がその歴史を刻み始めていたのである。

[過去記事]
01 Ticket To Ride
02 You Can't Do That
03 Help!
04 I'm So Tired
05 A Hard Day's Night
06 Bad Boy
07 Across The Universe
08 I Call Your Name
09 Twist And Shout
10 Sweet Little Sixteen
11 Good Day Sunshine
12 I Feel Fine

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12 I Feel Fine


【日出る国のお土産】

 八月三日、エジンバラ公に宸筆の御製、すなわち明治天皇自ら筆を執って認めた短歌が送られた。これは同公が瀧見茶屋での会見の折、三条実美を通して求めたものであり、この日も三条実美自らがこれを奉じて延遼館を訪問している。御製は「世を治め 人をめぐまば 天地(あめつち)の ともに久しく あるべかりけり」という物で、余りに無難すぎて短歌としての面白みには欠けるものであるが、この場合は相互の治世を寿ぎ、また儀礼的に送られる物であるのだから、これで良いのであろう。またこの時、随行の士官らには太刀が一振りずつ、更にミッドホールにも梨地の蒔絵が施された五つ組の重箱が送られている。更には「香港にて御道具買入候英人」へも漆器が送られている事が分かっている。既に述べた通り何かと評判の良くなかった道具類であったが、それでも明治政府としては謝意を示したという形であろう。同日、エジンバラ公は東京を発して横浜に戻った。延遼館より汽船に乗って品川沖に至り、英国軍艦に移乗するというコースである。来航していたのは「ガラティア」「オーシャン」「パール」の三隻で、王子を迎える際に二十一発の礼砲を放っているが、これに和したのが「富士山艦」であったという。同艦は幕府が米国に発注して作らせた物で、第二次長州征伐の折に出撃しているが、この前年に新政府へ上納されており、最初期の日本海軍における数少ない保有艦艇の一つとなっていた。この時、小松宮彰仁親王は大久保利通・伊達宗城らと共に「ガラティア」号まで見送りに来ており、エジンバラ公自らの説明で艦内を見学している。英国の王族から自身が艦長を勤める船の案内を受けるというのは、この後の日英交流史の中でも殆ど見られない事ではあるまいか。この事は大久保利通にも強い印象を与えたようで、その日記にも「感に堪えず候」と書き残している。

【舞踏会】

 八月五日、相変わらず大久保利通は朝から忙しい。黒田清隆の訪問を受け外務省に関する事柄について議論を行った後、十時に参朝して北海道開拓の為の予算を大蔵省に求め、十二時からは広沢真臣・副島種臣と共に小松宮彰仁親王を訪ね、一時には共に馬車にて横浜に出発するという慌しさである。彼等が横浜に向かっているのは、同地にある英国公使館で行われる舞踏会に参加する為である。彼等を乗せた馬車が横浜に到着したのは五時であるから、四時間ほど馬車にゆられていた計算だ。嘗ては徒歩で半日はかかり、この三年後に鉄道が開通した際には一時間弱で移動出来るようになっている辺り、移動手段の急速な発展を感じずにはいられない。さて、舞踏会である。残念ながら日本側来賓が洋服を着用したのか、また、ご婦人方と慣れないステップを踏んだのかは明らかになっていないが、大久保利通はこれを「国振りによりて大いに替わり、珍しく見物致し候」と記している。なお、エジンバラ公はカリドール(方舞曲)を二回、ワルツ(円舞曲)を一回踊った後にさすがに疲労が溜まっていたのか、早々に退席したらしい。また食堂には飲食も整えられており、結局その日の宴は二時まで続いたのであった。

【刺青はカレーの後で】

 八月六日、エジンバラ公は刺青を彫る予定になっていた。これに関しては既に紹介した小山騰『日本の刺青と英国王室』(藤原書店、2010)に詳しい。これも十分に興味深いのであるが、これに加えて関心をそそられるのは、この日の朝にエジンバラ公がケッペル提督と取った朝食についてである。この折のメニューがカレーライスであったそうで、このケッペル提督の回想録中に見られる一文は、エジンバラ公が日本で刺青を彫ったという根拠となると同時に、日本におけるカレーライスの受容について知ることの出来る極めて古い記述という事になる。勿論、両人が食事を取っていたのは英国公使館であるので厳密に言えば日本領土ではないが、少なくとも、この頃にはカレーライスが我が国に持ち込まれ始めている事を看取できるものと言えるだろう。現在では「国民食」となるカレーライスも、まだこの頃には余り知られておらず、この三年後に発刊された仮名垣魯文『西洋料理通』で紹介されたり、幾つかの教育機関で学生用の食事として出されたことを通して広く国内に普及するに至るまで、まだ少しの時間を必要とする。


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【パークスの報告】

明治天皇とエジンバラ公の会見は終わった。
パークス公使は本件について本国への以下のような報告をしている。

―今回の会見が全く対等の関係で行われ、天皇がこの機に日英親善に友好的な言葉を述べたことは、
 単に殿下に対して個人的に敬意が払われたということの止まらず、少なからざる重要性を帯びている。
 それは、新政府がこの国で長きに渡って固執されてきた鎖国制度を断固として放棄し、
 外交折衝を西洋列強間に行われる諸原則にしたがって処理していくことを証明したことになるからだ。

 天皇が今回、欧州の代表的な王家の一員と親しく友誼を結んだということが国内に知られれば、
 必ずやこのこの国に在住する外国人の境遇に広く好ましい結果を及ぼすであろうし、
 また、数世紀にわたる厳格な鎖国から生じた外国人に対する偏見を弱めることになるだろう。
 それ故、まだ外交政策問題に関して日本人の間になお意見の分裂がある現状を考慮するに、、
 殿下のご訪問はまさに時宜を得て行われ、更に国際的友好の精神を高めた行事と言えるだろう。

正に日本外交の新時代の到来を告げ、半ばこれを手放しで賞賛した報告と言えよう。
パークス公使自身、幕末の風雲の中に身を置き、何度も命を危険にさらされながら、それでも協力をしてきたこの国の改革が好ましい形で実を結んだと、万感胸に迫る思いで筆を走らせたのではあるまいか。なお、この後の八月に酔漢に斬りつけられたのと、九月に抜刀した熊本藩士に脅されたのを最後に、離任する明治十六年(一八八三)まで、彼に対する襲撃事件は発生していないようである。

【接待尽し】

さて、会見を前後してエジンバラ公を歓迎する政府主催の催し物が多数行われた。
先ずは七月二十六日、延遼館において槍剣試合を開催しており、二十七日には芝・増上寺を観覧、
帰館後には太神楽、夜には奇術を見せている。また二十八日には夕方から放鷹、夜には日本舞踊を見せ、二十九日には赤坂の和歌山藩邸において能・狂言と正に外国人に対する接待のフルコースといった趣である。この日の夕食には日本料理が振舞われているが、残念ながらメニューが何であったかを確認できる史料は見つかっていない。現時点では、どうやら八百善が饗応料理を用意したらしいという事が辛うじて分かっているのみである。

八百善というのは享保二年 (一七一七)に創業された江戸料理の老舗である。
江戸期には将軍の来店すらあった江戸料理の名店であり、かのペリー来航の際にも料理を提供している。この時、アメリカ人にとっては薄味で余り美味とはされなかったとの話が伝わっているが、
ただ、アーネスト・サトウ書記官などは日本料理をこよなく愛し、毎日のように食した旨を自伝に残しており、或いはこの当時の日本料理はイギリス人の舌には合うものであったのかも知れない。

改めて八月一日には相撲の観覧の後、政府関係者が延遼館にエジンバラ公を訪問した。
三条実美・岩倉具視・徳大寺実則・大久保利通・広沢真臣・副島種臣・松平慶永・鍋島閑叟という豪華な顔ぶれである。三条実美や岩倉具視は兎も角、大久保利通らは洋服を着ているようなイメージがあるが、全員が狩衣を着て訪問している。この辺りからも、当時の日本がまだ西洋化するには至っていないことを見て取ることが出来るだろう。

二日には打毬・軽業・漁猟の催し、夜には絵画の鑑賞が行われているが、ここで「打毬」が入っている所が面白い。これは馬に乗った人物が毬杖(ぎっちょう)という杖で毬を打ち、相手の門に入れた得点を争うもので、英国の「ポロ」に大変似た競技である。それもその筈、この両者は共にペルシャを起源とする競技が洋の東西でそれぞれに発展したものなのである。英国において近代「ポロ」が始まるのはこの少し前、十九世紀の中頃にインドから持ち込まれたことによる。この催しを用意した者が流石にそれを知って組み込んだのではないだろうが、歴史の偶然とはこのように起こり得るものなのであろう。



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    明治二年(一八六九)七月二十八日の朝、ヘンリー・パークス駐日英国公使は妻に手紙を書いていた。

    何も明治天皇とエジンバラ公が会見する、この日の朝に書くこともあるまいと思うが、本来ならば前日に行われていた筈の会見が、悪天候を理由に一日延期されたため、郵便を出す日に重なってしまったからであるそうだ。その手紙の中に次のような一文がある。
    ―謁見は公式と非公式と二回あり、かわいそうに天皇はまだお若いから、ひどく恥ずかしがられるであろう。そのことで殿下が天皇を大層つまらなくおもわれるのではないかと大臣達も心配しているだろうが、殿下自身もとても恥ずかしがり屋なのだ。
    時に明治天皇、十六歳。後に「明治大帝」と尊称される人物も、この時にはまだ内気な若き君主であった。一方のエジンバラ公は二十五歳、彼もまたシャイな王子であったようである。

    同じ頃、大久保利通は衣冠に身を包み、朝から皇居に詰めている。
    この二日前に至ってもまだヘンリー・ケッペル提督の席次について議論を行い、前日の朝になって、対面の時の礼式についてレクチャーを受けるという慌しさである。諸事に忙殺されている彼にとっても、この対面の成否は重要な問題であったらしく、日記に「心痛の事に候」と書いている。

    伊達宗城は皇居に到着したエジンバラ公をまず、休憩所である待合の間に導いた。
    程無くして、エジンバラ公は謁見用の大広間に招かれ、明治天皇はこれを高座の上に立って迎えたのである。一人壇上に向かえられた王子は正面向かって右側に着座し、それに対面するように明治天皇と小松宮彰仁親王が着座した。その他の人々は日英双方ともに対面して段下に座しており、この席次は両者が対等であるという事を示すものである。

    席次_b


    但し、明治天皇の座はエジンバラ公よりも少し広間の奥側に寄せてある点に注目したい。
    対等でありはするが、君主である明治天皇と王族の一人に過ぎないエジンバラ公との間に若干の差異が設けられているのである。つまり、対等の立場での面会ではあるが、両者をカウンターパートとする訳ではないとの意思もここに見る事が出来る。当時の日本政府の苦心の結果が、この絶妙な席の配置に現れており、非常に興味深いものがある。

    この時、両者の間で交わされたのは儀礼的な言葉のみである。
    明治天皇は型どおりのそれを済ませた後、更に親しく会見をしたいとの希望を述べた。エジンバラ公はこれを承諾、一旦退出して紅葉茶屋にて休息の後、改めて瀧見茶屋での会見に赴いた。瀧見茶屋では三条実美が待っており、エジンバラ公を迎え入れて再び明治天皇の前に導いた。明治天皇はエジンバラ公を見るや丁寧にお辞儀をし、椅子をすすめて座らせると茶菓が両人に供された。

    余談であるが、この茶菓の用意について外国官は太政官において行って欲しいと上申しおり、また紅葉茶屋の床の間に生ける花に関しても同様としている。ただ、その一方で休息の際に水菓子、すなわち果物を出すことになっており、これには西洋の物も加えるので、その用意については外国官において行うと述べている。

    さて、パークス公使の報告やミッドフォード書記官の覚書によれば、この時、明治天皇とエジンバラ公の間には以下のような会話があったという。

    天皇「かくもはるかな国から来訪された王子を迎える事は最大の悦びです。
       殿下にはゆっくりご滞在になり、旅の疲れを癒して頂きたい」

    王子「これまで心からの歓迎を受けて深く感謝しています、
       女王陛下もこの訪問の知らせを聞いて、きっとお喜びになるでしょう」

    天皇「今回のご訪問によって両国の友好関係が益々固められることになると思うと実に嬉しい。
       また、殿下をおもてなしすることにおいて、色々と至らぬ点も出てくるでしょうが、 
       ご希望があれば遠慮なく仰って下さい、出来るだけご満足にいくように致します」

    王子「私が受けた接待に不満足どころではなく、期待を超えたものでしたし、
       たびだび話に聞いていたこの国を訪れる夢が実現できて大変満足です。
       また陛下が先祖より継承されれてきた王政権を回復された事に対し、お祝いを申し上げたい。 
       女王陛下も貴国の内乱が止んで平和が蘇ったとお聞きになれば、非常にお喜びになるでしょう」

    天皇「国中が騒乱の中にあった時代、パークス卿から多くの助言を頂き、大いに助けになりました。 
       この機会にその恩義に対して感謝の意を表明できることを嬉しく思います。
       願わくば、殿下からもこの旨を女王陛下にもお伝え頂きたい」

    王子「承りました、喜んでお伝え致します」

    更に明治天皇がケッペル提督とパークス公使に言葉をかけた後、エジンバラ公は起立してダイヤモンドをあしらった嗅ぎタバコ入れを訪問記念の進物として贈呈した。かくして、両者の最初の会見はこのように無事終えられたのであった。

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      【明治二年の吠声】

      英国王子が来日してからこの方、神祇官は延々と祭事を続けている。、明治二年(一八六九)七月二十三日に神祇伯である中山忠能自らが韓神祭を神祇官において行ったのを皮切りに、翌日には神祇少祐である青山景通が高輪の八ツ山麓において送神祭、同じく神祇少副である福羽美静が延遼館において送神祭を行った。神祇官というのは「神道」の祭祀や宣教、神社や皇室関係の陵墓の管理などを行う官庁である。天皇による祭政一致による正統性の主張や、キリスト教に対するべく「神道」の国教化を推進したとされており、この年の七月には名目上、太政官の上位に位置していた。個人的には国学者を中心とした人々の為に作られた名誉職であるような気もしなくもないが、奉職している本人達にしてみれば真剣であったろうし、それだけに面倒な官庁とも言える。

      七月二十八日、エジンバラ公はハリー・パークス駐日英国公使、ヘンリー・ケッペル提督らを伴って参内すべく延遼館を出発した。別手組や田安・徳島藩兵、英国騎兵・銃兵隊などで固められ、王子の馬車の両脇には特に徳島藩が用意した帯剣の護衛がそれぞれ十名ずつ張り付いている。コースは延遼館から奥平邸の前を過ぎ、汐留橋を渡って右折、更に芝口橋を渡って大通りから京橋を渡って左折して、畳町・五郎兵衛町を経て鍛冶橋門へ至り、更に馬場先門より入って西の丸に入るというものである。道中、これを襲撃する者は幸いにして現れなかった。

      かくして宮城に到着したエジンバラ公を待っていたのは、神祇官による「幣(ぬさ)」の儀式である。また、馬車を降りる時には「吠声(はいせい)」という儀式が執り行われた。有体に言えば双方共にお祓いの類のもので「吠声」は嘗て服属した「隼人」が犬の鳴き声を真似ることで邪を払うとされたものであり、この時にどう「隼人」を用意したのか興味深い所ではある。ともあれ、エジンバラ公は幾重にも祓い清められた。しかし、この事が問題となった、特に焦点となったのは、これらの儀式は何の為に行われたのかということである。

      【福沢諭吉の憂鬱】

      日本政府の公式の見解としては「外国の賓客の平安を祈願するもの」である。実際に英国側に対してもそのように説明がなされていたようであるが、そうは考えなかった者も少なからず存在した。当時、東京大学の前身である「大学南校」の教師であったウィリアム・グリフィスはこれを外国人そのものの持つ「穢れ」を祓う為の物であると認識していたようである。また当時、福沢諭吉の友人である尺振八(せきしんぱち)という人物が、ボルトマン米国代理公使の下で働いており、福沢諭吉が彼から語って聞かされた所によると、ボルトマン公使は本国への報告書に「入城の際に禊身の祓を行ったのは、日本人が外国人を畜生視しているからで、その不浄不潔を払わんが為であり、エジンバラ公においてもそれは免れ得なかった」旨を書いたというのである。尺自身はこれを滑稽な話のつもりで福沢諭吉に語り、「大笑いではないか」と言ったそうであるが、福沢諭吉はというと「実に苦々しいことで、笑いどころではない、泣きたく思った」と『福翁自伝』に書いている。

      それを嘆く以前に、自分が働く公使館で業務上知り得た情報をこのようにペラペラと漏らしてよいものか、またそれを自伝で暴露するのは如何なものかと思うのだが、それは措こう。このように日本政府の説明とは裏腹にエジンバラ公自体が「穢れ」を持つとされ、これが祓われたという認識が広範に広がっていたようである。不思議であるのは、この「誤解」を払拭するべく、何らの布告も行われていない点だ。これを行っていれば、外国人や開明的な人物からの「誤解」に基づく嘲笑を幾らか避ける事も出来たであろう。或いは、敢えてそうされなかったのかも知れない。何故なら、英国側は兎も角、一般的に「穢れ」を祓ったという認識が広がっているのであれば、天皇とエジンバラ公の会見を快く思っていない人々に幾らかの慰撫を与えることになり、またそうする事で、過激な攘夷思想を持つ者がテロを行うリスクを少しは軽減できるだろうからだ。

      ともあれ、この甲斐もあってか、エジンバラ公は無事、宮城に入ることが出来た。いよいよ天皇との会見である。

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