百年新報 (1912.07.04)
西蔵兵大活動 支那兵虐殺さる
「東京朝日新聞」1912/07/04
四川省成都よりの報に依れば、西蔵(チベット)拉薩(ラサ)に於ける支那守備兵は虐殺され、三千の西蔵兵は裏塘を占領し、同地支那兵は百余名の使者を残し、打箭爐に退却せり。成都よりは第二西蔵の征討軍を組織し、既に打箭爐に向ひ出発せり。
【メモ】
西蔵動乱の記事。
状況は西蔵側有利に進んでいるようである。
ウィルソン
「東京朝日新聞」1912/07/04
四十六回の投票の末、終にウッドロー・ウィルソンが民主党の大統領候補者に当選した。而して此結果を産出すに至った最近の原因が、ブライアンの獅子奮迅的大奮闘に在ることを思へば、幾蹉跌の後、或意味に於て彼も漸く昔年の宿志を果たし掛けんとして居るものである。
ウィルソンは千八百五十六年、民主党の本拠たるヴァージニア州のスターントンに生れたので、本年取って五十六歳である。七十九年、プリンストン大学に入って法律を修め、七十九年に其処を卒業してジョンスホプキンスの大学院に移り、当時最も彼の興味を惹いていた行政問題、即ち広義に於ける政治学の研究に没頭した。ジョンスホプキンスを出てよりは、費府(ヒラデルヒヤ)付近のプリンモーア女子大学の教授となり、コネチカットのウエスレーヤン大学の教授となり、続いて千八百九十年、母校プリンストン大学に帰って政治学の教授となり、千九百二年、終に衆望を負うて該校の総長となったのである。其職に在る前後九年、一昨年の十一月、共和党の勢力地たるニュージャーシー州に御て該党の候補者ヴィヴィアン・ルヰスと覇を争ひ、首尾能く勝を制して、同州知事に挙げられたのである。
今週以来、彼が一度大統領候補者の一人として江湖に喧伝せらるるや、彼が高遠なる学識と其高潔なる人格とは、遍く衆人の認むる所であったが、一部の論客は彼が合衆国の主権者として其実際的手腕の程を危んだ。而して此は彼がニュージャーシー知事候補者として立った時にも抱かれた同一の懸念であったが、彼が在職年余の治績は明かに一個の杞憂に過ぎなかった事を証明して居るのである。元来、近世の一大大学を統御するの能力は、其仕事の分量から言っても、又多数の異なったる意見の教授連を率ゐて其処に一大調和を失はないで行く性質から見ても、事実上、一大政治機関を支配するのと大差は無いのである。
二年前、彼が少数党の推す所となって、ニュージャーシー知事候補に立ち、ルヰスと勝利を争った時、其競争に向って世人の注意の集まった事は実に合衆国前代未聞と云ふ事であった。是は一つに彼の如き学徳兼備の著名なる一大市民が、自ら陣頭に立って覇を争ふと云ふ点に世人が殆ど超政党的の興味を惹いたからで、二十一郡中三四を除いては、全く共和党の勢力中に在る同州に於て、到処の演説会に有らゆる階級、有らゆる職業の人を引き付け、時に彼等をして其小児迄同伴せしめたと云ふ事は、一大顕著なる事実にして伝へられて居る。当時の知事は昨年我国にも来遊した彼のフォートで、共和党中の有力者たるは勿論、敢て其治績に避難す可きなく、又彼と共に争ったルヰスも一名士として慥かにに知事候補たるに愧る所が無かったに拘はらず、遂に彼がルヰスを圧し、五万票の多数を以て当選するに至ったのは、彼の個人的人格に共和党員の一部が惚れ込んだ結果だと称せらる。
素より彼が今秋の選挙に当選するや否やを今より推測するのは一大早計たるに相違無いが、試みに当選するものと過程すれば、合衆国大統領の二大産出地の一として知らるるヴァージニア州は彼で八人目の大統領を出す事となる。即ち南北戦争を境として其前十五人の大統領中、ワシントン、ジェファーソン、マヂソン、モンロー、ハリソン、タイラー及びテエラーの七人は同州より出て居るので、其後に選出せられた十二人中、グラント、へース、ガアフィールド、(ピー)ハリソン、マッキンレー及びタフトの六人は他の産地たるオハイオ州から出て居るのである。彼果して最後の勝利を博して首尾能くヴァ州産出大統領の八人目たるの栄誉を担ふを得るや否や。彼が今回の候補運動に際して日本移民制限を云々したと云ふが如きは、勿論喜ばしからざる事ではあるが、偶(たまたま)彼が他の候補者よりも一層露骨にして正直なるを示す所以で、五十歩百歩の事、吾人は彼の如き入格の士が堂々陣頭に立って活きたる世界に輸贏を決せん為るのを愉快とするものである。
【メモ】
ウッドロー・ウィルソンに関する記事。
米国大統領選挙には多くの関心が持たれ、連日報道されている。
大戦期を挟んで、この人物に日本と世界は大いに振り回される事になる。
「東京朝日新聞」1912/07/04
四川省成都よりの報に依れば、西蔵(チベット)拉薩(ラサ)に於ける支那守備兵は虐殺され、三千の西蔵兵は裏塘を占領し、同地支那兵は百余名の使者を残し、打箭爐に退却せり。成都よりは第二西蔵の征討軍を組織し、既に打箭爐に向ひ出発せり。
【メモ】
西蔵動乱の記事。
状況は西蔵側有利に進んでいるようである。
ウィルソン
「東京朝日新聞」1912/07/04
四十六回の投票の末、終にウッドロー・ウィルソンが民主党の大統領候補者に当選した。而して此結果を産出すに至った最近の原因が、ブライアンの獅子奮迅的大奮闘に在ることを思へば、幾蹉跌の後、或意味に於て彼も漸く昔年の宿志を果たし掛けんとして居るものである。
ウィルソンは千八百五十六年、民主党の本拠たるヴァージニア州のスターントンに生れたので、本年取って五十六歳である。七十九年、プリンストン大学に入って法律を修め、七十九年に其処を卒業してジョンスホプキンスの大学院に移り、当時最も彼の興味を惹いていた行政問題、即ち広義に於ける政治学の研究に没頭した。ジョンスホプキンスを出てよりは、費府(ヒラデルヒヤ)付近のプリンモーア女子大学の教授となり、コネチカットのウエスレーヤン大学の教授となり、続いて千八百九十年、母校プリンストン大学に帰って政治学の教授となり、千九百二年、終に衆望を負うて該校の総長となったのである。其職に在る前後九年、一昨年の十一月、共和党の勢力地たるニュージャーシー州に御て該党の候補者ヴィヴィアン・ルヰスと覇を争ひ、首尾能く勝を制して、同州知事に挙げられたのである。
今週以来、彼が一度大統領候補者の一人として江湖に喧伝せらるるや、彼が高遠なる学識と其高潔なる人格とは、遍く衆人の認むる所であったが、一部の論客は彼が合衆国の主権者として其実際的手腕の程を危んだ。而して此は彼がニュージャーシー知事候補者として立った時にも抱かれた同一の懸念であったが、彼が在職年余の治績は明かに一個の杞憂に過ぎなかった事を証明して居るのである。元来、近世の一大大学を統御するの能力は、其仕事の分量から言っても、又多数の異なったる意見の教授連を率ゐて其処に一大調和を失はないで行く性質から見ても、事実上、一大政治機関を支配するのと大差は無いのである。
二年前、彼が少数党の推す所となって、ニュージャーシー知事候補に立ち、ルヰスと勝利を争った時、其競争に向って世人の注意の集まった事は実に合衆国前代未聞と云ふ事であった。是は一つに彼の如き学徳兼備の著名なる一大市民が、自ら陣頭に立って覇を争ふと云ふ点に世人が殆ど超政党的の興味を惹いたからで、二十一郡中三四を除いては、全く共和党の勢力中に在る同州に於て、到処の演説会に有らゆる階級、有らゆる職業の人を引き付け、時に彼等をして其小児迄同伴せしめたと云ふ事は、一大顕著なる事実にして伝へられて居る。当時の知事は昨年我国にも来遊した彼のフォートで、共和党中の有力者たるは勿論、敢て其治績に避難す可きなく、又彼と共に争ったルヰスも一名士として慥かにに知事候補たるに愧る所が無かったに拘はらず、遂に彼がルヰスを圧し、五万票の多数を以て当選するに至ったのは、彼の個人的人格に共和党員の一部が惚れ込んだ結果だと称せらる。
素より彼が今秋の選挙に当選するや否やを今より推測するのは一大早計たるに相違無いが、試みに当選するものと過程すれば、合衆国大統領の二大産出地の一として知らるるヴァージニア州は彼で八人目の大統領を出す事となる。即ち南北戦争を境として其前十五人の大統領中、ワシントン、ジェファーソン、マヂソン、モンロー、ハリソン、タイラー及びテエラーの七人は同州より出て居るので、其後に選出せられた十二人中、グラント、へース、ガアフィールド、(ピー)ハリソン、マッキンレー及びタフトの六人は他の産地たるオハイオ州から出て居るのである。彼果して最後の勝利を博して首尾能くヴァ州産出大統領の八人目たるの栄誉を担ふを得るや否や。彼が今回の候補運動に際して日本移民制限を云々したと云ふが如きは、勿論喜ばしからざる事ではあるが、偶(たまたま)彼が他の候補者よりも一層露骨にして正直なるを示す所以で、五十歩百歩の事、吾人は彼の如き入格の士が堂々陣頭に立って活きたる世界に輸贏を決せん為るのを愉快とするものである。
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