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続・江戸の話 百二十二


『守貞謾稿』女扮編を読み進めよう。
1「菱川師宣天和貞享頃の江戸の浮世絵師和国百女に曰町人の娘は余り風俗にもかまはずして軽々敷しやんと見ゆる素より衣服の模様もしほらしく人の目に立て端手なるは大かた嫌ふ也云々と頭書して下に三女を図すともに其扮相似たり蓋此一女帽子をかむり外二女は不冠之 人目に立て花手なるは大方きらふとかきて此図今世に比すれば太だ花手なり今世浴衣の他如此大紋の服を着ず」
とある。浮世絵確立者として知られる菱川師宣は元禄年間の没、「天和貞享頃」というのは活動時期を漠然と示したものであろう。さて、同書には「町人の娘」の衣服について「しほらしく」「端手(はで)なるは大かた嫌ふ」等とある。しかし守貞の頃と比較すると、甚だ派手で、浴衣以外ではこのような大きな絵柄の服は着ないと言う。
2「同書曰町人の女房其身顔形能く生れ付宜き方へ縁付しての後親の方又は其外親類の所へ行く時には顔も綿にてかくさず底至りの風俗して人に誉られたく想ひ態と陸にておもわくらしく静かに行也云々底至りと云は外見華に非ず又美ならず而も麁に似て其実は精制善美を云今も此言あり江戸の方言也」
とある。同書「町人の女房」。親元・親戚の所に赴く時には、人にほめられ思い、顔を隠さず、底至り」な装いで行くものらしい。守貞によれば「底至り」は江戸方言。今日でも用いないものでもないが、外見は華やかでも美しくもなく、粗にもみえるが、実際には(見えない所は)念入りで美しいもの。ともあれ、これは「其身顔形能く生れ付宜き方へ縁付しての後」の場合に限られる話題であり、当該時代に敷衍できるものではない。

 なお、『守貞謾稿』の図は略があるので、今回の図は『和国百女』から採った。『和国百女』は菱川師宣没後の刊行であり、厳密に描かれた図絵の年代を比定するは困難である。ただし「町人の娘」の例のように、守貞の頃の風俗と図絵を比較するには、問題とはならない。


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