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続・江戸の話 百二十七


『守貞謾稿』女扮編。今回は髪形の名称の話が中心である。
「又元禄前後の髪名にとりあげ髪こたん曲四つ折ならず曲等諸書にあれども其形をしらずならず京坂今も放蕩を云江戸に云どうらく者と同じ 又元禄中吹鬢の名あり鬢を浮し出したる物也又繻子鬢と云もあり伽羅油を多く用ひて髪に光沢の名也」
とある。元禄頃の髪形の名称として、とりあげ髪等をあげるが、形状はわからないとする。ただし分かるものもあるようで、吹鬢は鬢を通常より大きく浮き出したもの、繻子鬢は伽羅油を多く用いて繻子(サテン)の様に髪を光沢あるようにしたものであったと言う。
「当時髪名には吾妻、引出し、とんぼわげ、小島田、釣髪、二重曲、茶せん曲、なげ島田、兵庫曲、とり上げ髪、下げ髪、引こき髪、後家髷、丸曲」
とある。その他の髪形の名称として、引出し等々をあげる。この内、いくつかについては、後に解説が付されている。
「蜻蛉曲(とんぼわげ)は舞妓結之形華なり」「小島田は市中の媵まれに結髩厚し」「抛(なげ)島田は遊女の髪」「下げ髪は婚の日新婦の髪とし当時式正のみこれに結ふ」「引こきは無髩也今も京坂鬂髱を不出をひつこきと云」「後家曲は元結を許さずと云り今も江戸にて毛巻と号て後家はこき元結にて髻したる表に髪毛巻を本とす忍元結と云是歟」
とある。ただし、蜻蛉曲は舞妓が結うものでは形は華やかである等、解説は必ずしも形状についてではない。
 髪形には、こうした髪の結い方とは別に、髪の長さ・量についての違いもある。
「又或人云古の婦女は髪毛の長く多きを賞美す近世も元禄宝永以前は男女共に髷を入れしに䰐も〓も宝永末より髪の中を剃し故に髪形小型也左を見るべし〓そえと訓ず今加文字とも云䰐かみおヽし〓かみうすしと訓ぜり独言にも昔の婦人は髪の長きを丈けに余るなど云て賛たりしが近頃は髪少く短きを好とする風俗になりて髪の多きは髪の中を剃り或は斬てすくなくす云々」
とある。〓部分は、いずれも髟冠の文字であるが、䰐(髟+監)以外はフォントが見つからなかった。古くから婦女の髪は長く且つ多いのが賞美されたと言う。そこで髪が少ない場合には入れ髪・添え髪を行う。これが髢(かもじ)である。ところが宝永末から髪の中を剃ることが行われ、髪形は小型になったと言う。『独言』にも昔の婦人は髪の長いを「丈に余る」などと賞賛したが、近頃では逆に髪が少なく短いのを好む風俗になり、髪の多い者は髪の中を剃る・斬るなどして量を少なくしたと言う。
 今日でも髪を梳いて髪の量を減らし、髪形を整えることがある。こうした考え方自体は、少なくとも江戸時代にもあったもののようである。


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