続・江戸の話 百二十一


 『守貞謾稿』女扮編、笄(こうがい)の話の続きである。
「天和貞享 我衣笄のことを云条に貞享天和迄は鶴の脛骨の笄を最上とす享保頃よりは供を連る女は用ひず老婦など用ひたり云々守貞曰鶴脛骨の笄は蒔絵したる近年も往々用之者有之蓋京坂のみ歟頭痛の咒と云り江戸にては用ひざる歟」
とある。『我衣』に17世紀後半期、天和貞享の頃は、鶴の脛の骨で作られた笄が最上品であったが、後に18世紀享保の頃になると、そのような笄は高貴な者は用いないようになったと言う。しかし守貞は、鶴の脛の骨の笄で蒔絵を施したものは、守貞の頃でも往々用いている者がいると指摘する。ただし、京都大坂では頭痛を呪いになると言われたからで、江戸では用いないのかも知れない、と留保する。
「貞享作一代女と云冊子に象牙の差櫛大きに万気を付て拵へ云々 諸艶大鑑云白目縁の差櫛浅葱緒の雪踏云々嬉遊云是天和の末の事也今児女の弄びする白目しやりなどにて伏輪したる是也 守貞云今児女の弄する云々は即ち鍚棟の櫛を云也木曽路の於六櫛近江の土山櫛等に有之歟又田舎女は用之歟往々売之店を見れども是を用ふる小女をも都下に未見之也」
とある。井原西鶴『(好色)一代女』に象牙のさし櫛が見える。同じく井原西鶴の『諸艶大鑑』に白目で縁を飾ったさし櫛が見える。『嬉遊笑覧』は児女が手にする白目・しゃり(錫)で伏輪したものがそれであると言う。守貞は、ここでいう櫛は、棟の部分に錫を用いた櫛を言うと解釈し、お六櫛・土山櫛にはそうしたものがあるであろうか、と推測する。ただし守貞は、実際に売られている所・用いられている所は見たことが無いとらしい。
「世の人心草子と云天和頃のことを云本に透通りの瑇瑁の差櫛を銀二枚で誂へ銀の笄に金紋を居させ珊瑚樹の前髪押へ針銅入りの匕鬠を掛て素直でさへ白きに御所白粉を寒の水にて解て二百篇も摺付手足に柚の水を付て嗜み云々匕鬠はねもとゆひと訓ぜり 同書云鼈甲の惣透しの差櫛云々守貞曰当時銀二枚の櫛を貴価とする歟銀二枚は八十六匁金一両二分に足らず今世は金五六両を普通の物とし上品に至りては金二三十両なるべし蓋し鼈甲櫛一枚の価也」
とある。井原西鶴『世の人心』という草子に、透き通りの玳瑁のさし櫛を銀二枚であつらえた云々という話がある。守貞によれば、当時の銀二枚は金一両二分に足りず、守貞の頃の相場では5〜6両が並品、上品では20〜30両であろうという。


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    続・江戸の話 百二十


    『守貞謾稿』女扮編、笄(こうがい)の話に戻る。
    「笄之事 好古日録に曰く婦女の普く用る笄は貞享年間御厨子所預り故備前守始て工人に作らしむ後遂に十数年にして宇内に弘まりたり云々 嬉遊笑覧曰類聚雑要抄櫛筥一双懸子の内に平髪掻細髪掻とあり又唐櫛笥懸子の内紫檀平髪掻あり其形尋常の笄に変りたることなし耳かきは耳抉と云物別にあり茶杓の形にて反りたり銀にて作ると見ゆ又今用ふるかんざしは好古日録云々上文故に略之こゝの説誤なるべし」
    とある。『好古日録』は笄の由来について、貞享(1684-87)年間に御厨子所預の備前守某が作らせ、十数年して国内に広まったと云々する説を載せる。しかし守貞は、『嬉遊笑覧』の考証を併記する。それによれば、既に『類聚雑要抄』の櫛筥一双についての文中、懸子の内に納めるものとして「平髪掻」・「細髪掻」が見え、また、唐櫛笥懸子についての文中には「紫檀平髪掻」が見え、これらの形は通常の笄と同一である。耳掻については「耳抉」というものが髪掻とは別に記載されており、茶杓の形状で銀製である。こうした点を踏まえて、『好古日録』の説は誤であるとするのであるが、これだけでは理解し難いので、先を読み進めよう。
    「高橋図南は御厨子所預若狭守紀宗直と云人也若かりしほど北野に開帳ありしに或商人高橋家に来れるが図南それに教へて釵に耳かき造りそへなば流行るべしと云れけるほどに頓て造り出しつるに果してよく售ぬ夫より世に普く流行たりと云を輪池翁其家にて親しく聞れたりとの物語也図南老人は宝永の初元禄の末頃に生れし人なれば若き頃は享保年中なるべし」
    とある。これも『嬉遊笑覧』記事である。『好古日録』に見える御厨子所預云々という人物は御厨子所預若狭守紀宗直(高橋図南)であり、図南が商人に釵に耳掻を造り具えれば流行するであろうと案を出し、すぐに作ってみたところ良く売れ、それから世間に流行したという話を、輪池翁(屋代弘賢)が高橋家で聞いたと言う。釵は釵子。「かんざし」と訓読する。二股になった髪留である。かんざしに耳掻の機能を付したものは、図南の創案である、という理解であろう。図南は宝永(1704-1710)初か元禄(1688-1704)末頃の生まれであるから、その若い頃は享保(1716-1735)年間であろう、と推測する。
    「我衣に享保頃よりかんざしと名付る物上耳掻下髪掻銀にて作るとありて今名古屋打と云かんざしのやうにて足の㑨の間広き物を図せり其説付合す因て日録は聞謬りて記しゝことと知べし其上笄字書たるはかんざしとは読難し」
    とある。『我衣』も、その享保の頃「かんざし」と名付けられた上が耳掻、下が髪掻である銀製品が作られたことを伝えているとして、『好古日録』の記載を更に検証している。
     さて、当の守貞は、
    「守貞曰所詮笄は元来梳具也笄髷ありて以来髷を止る具となる又昔は笄簪ともに形相似たり恐くは一物二名歟享保以来耳掻あるを簪耳掻なきを笄と云て二物となる也又笄も昔は竹角鯨髭を以て製之」
    とある。つまるところ笄は元来髪を梳く道具であり、髷を結うようになってから髷を止める道具になった。また、昔は笄・簪ともに似た形状であり、恐らくは同じ物に二つの名前を有していたが、享保年間以後は、耳掻の機能のついたものを簪、ないものを笄と呼び分けるようになったのではないか、と言うのである。当否は判じ難いが、一説ではあろう。

     ちなみに『嬉遊笑覧』が引く「櫛筥一双」云々の記事は、『類聚雑要抄』では巻4にみえる記事である。「髪掻」と書いて「カウカイ」と訓じたものらしい。興味のある読者は、原文を確認すると良いだろう。「櫛筥一双」内に納める物の総額は「已上櫛筥納物料銀四百五十三両二分」とある。当時の事実の一断面を示すものではあろうが、一般化して語るのは、慎重であるべきであろう。


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      続・江戸の話 百十九


      『守貞謾稿』女扮編、女性の髪形の話の続き。前回は笄(こうがい)の話題の中で、その材料として「鼈甲」への言及が見えた。今回は、その鼈甲の話である。
      「玳瑁を鼈甲と云事及用之事 余が所聞何の年歟官命して瑇瑁の櫛笄を禁止す其後奸商が瑇瑁と云ず鼈甲と名付けて反之今世の人は鼈と云を本名と思ふ人多く又官にても往々高価鼈甲を禁ず事あり鼈は土鼈にて乃ち俗に云すつぽん也瑇瑁は珍宝の其一也夫を奸商すつぽんに矯けて売之し也今は朝鮮鼈甲紛鼈甲等の名ありて模造を巧にす蓋朝鮮鼈甲も朝鮮瑇瑁也」
      とある。守貞によれば、官が玳瑁の櫛笄を禁止して後、奸商が玳瑁の名を避け鼈甲と名付けたにも拘わらず、今では鼈は本来の名前と思う者が多く、官でさえも玳瑁ではなく鼈甲を禁止することがある。鼈は土鼈、所謂すっぽんであり、玳瑁とは異なるものであるが、名称を偽って販売している。その中には、玳瑁製ではない模造品もあると言う。もっとも玳瑁の甲は薬に用いることがあり、鼈の甲も同様に用いることがある。ともに司馬相如の子虚賦に列挙されるように、近い点が無いわけでも無い。
      「漢人も瑇瑁の櫛等を用ふ赫胥氏治造に十四歯梳後世雑以象牙玳瑁為之其製形如八字云々是剪灯新話八字牙梳白似銀と云言の注也又琉球用之簪とす中山伝信録の風俗を云条に婦女小民家簪用玳瑁長尺許倒指髻中翹額上髻甚鬆前後偏堕疑即所謂□来忽作商人婦意戴簪不脱鞋云々其注に土妓不得簪銀道遇官女必脱草靸跣足拠地云々」
      とある。赫胥氏は中国古代の伝説上の帝王で、炎帝に比定されることもある。赫胥が24歯の梳を作ったという説話は元『事林広記』にも見える。『事林広記』別条は舜の時象牙玳瑁の笄を用いた説話を載せる。守貞の引く説話は、この系譜に属するものであろう。明『剪灯新話』注に琉球云々とあり、以下『中山伝信録』を参照する。「所謂」以下は原書と大いに異なり判然としない。『中山伝信録』原文では「疑クハ即所謂倭堕髻ナラン」と続く。
      「嬉遊笑覧に是等のことを云て皇国用之者不伝染琉俗歟と云り同書に天和貞享のことを云心草子と云を引て透通の瑇瑁の櫛云々と云り貞享頃は鼈甲とは云ざる也」
      とある。守貞は「鼈甲」と言うようになる時期について、『嬉遊笑覧』・『心草子』(井原西鶴『西鶴織留』中『世の人心』か)を参照して、17世紀末頃にはまだ「鼈甲」とは言わなかったとする。
       『通航一覧』阿蘭陀国部には「寛文十一年辛亥年六月十七日、謙譲の鼈甲灯籠等六種を日光山御宮に備へらる」とある。享頃より先、寛文年間についての記事中に「鼈甲」と見える例はある。しかしながら『通航一覧』の編纂は後年である。原史料の表記のままであるのか、後世編纂時の表現であるのか、この記事からだけでは分からない。ある語がいつから用いられたか年代を比定するのは、中々難しいものである。


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        続・江戸の話 百十八


        『守貞謾稿』女扮編、女性の髪形の話の続き。今回は笄(こうがい)の話題である。原義はともあれ、長い髪を結い固定する際に用いる棒のようなものである。
        「我衣に笄のことを云て寛文の頃より鼈甲を用ふる人もあり髪は片髷也是は内室のみ下女は笄ぐる也はや正徳の頃は下女も鼈甲を用ふ」
        とある。笄の材質について『我衣』を引き、17世紀中葉の寛文年間の頃から、貴人令室の中には鼈甲を用いる者もあり、髪形は片髷(片外)であった。片外は、笄を抜き去れば下げ髪にすぐに戻すことができる。18世紀正徳の頃には下女でも鼈甲を用いる者があったという。
        「同書云寛文中云々伽羅油店を出す又曰婦人の櫛笄寛文迄は鯨也其後鼈甲の薄く黒きをゑり出し頭に銀杏或ははつれゆきなどの類を細工にせしを最上とす後鹿角を蘇方染にして朝日の櫛笄と云上ひん也云々是に櫛笄とありて簪を云ず」
        とあり、寛文年間には未だ鯨の髭等を櫛笄に用いる事が主であったようである。鼈甲が用いられる様になると、イチョウ・はつれゆき(斑雪)の様な装飾が加えられるようになる。後には鹿の角を赤黒い蘇方(芳)染にして用いたと云う。
        「女用訓蒙図彙曰笄曲は下髪せし奉公人など其勤を仕廻内々の局などに入りくつろぎ又は己がじヽ打寄時下髪は身持むづかしき故にくるくると廻して笄にて仮にして置たる也其さま面白とていつしか常の結ぶりに成たる也末の世には下髪せぬ際の人柄もなべて笄曲に結ぶ昔は遊女も下げ髪をしたりとかや云々」
        とある。守貞は別書『女用訓蒙図彙』から、下髪(さげがみ)が本来であるにしても、仕事外でくつろぐ際等には下髪は不便であるので、笄に一時的にくるくると巻き付け、何時しかそれが常の髷の結い方となり、そうした経過とは無関係に、そもそも下髪をしない者も、笄髷を結ぶようになったとする説を引く。この事例は奉公人についてであるが、奉公人に限らず内室であっても、同様の経過はあり得よう。一部略すが、守貞は、
        「或書云銀のかうがいをやうじにさしかへ云々 笄曲は既に昇平の初よりも有之歟而其形を詳にせず女房等勤仕の時の下げ髪を休暇及び臥床には笄を以てかりに頭上に曲げしより始るべし故に其形も定ざる歟種々随意なるも笄を以て曲る物を云歟其後漸く笄曲定形ありて下げしたじ片はづじ等に分る歟故に笄曲は下げ髪の婦の所為其後諸婦専結之江戸も用之安永ごろより丸曲となり京坂のみ古風を存する歟」
        と考察を続けている。笄髷が既に江戸初期からあるものかと推測しているが、根拠不明である。「或書」がその頃の刊なのであろうか。詳らかではない。以下、初期の笄髷の形が詳しく伝えられていないのは、下髪を休暇・臥床時に笄に一時的に巻き付けたもので、形が定まっていなかったからではないか。形に拘わらず笄を用いた髷を笄髷と云ったのではないか。後に次第に笄髷の形が定ったのではないか。等々。守貞は、実に「歟」を五回も連ね、推測に推測を重ねている。推測であることを自覚し断定を避ける執筆態度には、尊重すべき点があろう。


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          続・江戸の話 百十七


           今回も『守貞謾稿』女扮編、女性の髪形の話。『女鏡秘伝』を引いての守貞の考察の続きである。前回、同書から「ひたいをするは誠に大じのものなり」云々という一文を紹介した。「ひたいのなり」即ち額の形は美醜上の一大関心である。当然ながら額を如何に装うかも関心事であった。
          「けはひの化粧之事 おしろひをぬりて其おしろいすこしものこり侍れば見ぐるしき物なり態々のこひとりてよしもとよりかほばかりにぬるべからずみヽのしたのどよりむねまでものこさずぬり給ふべしきは見へざるをかんとすくれぐれしろくのこれるはおとこたちの一しほきらいものわらひぐさとこヽろへべし 当時淡粧俗に云うすげせう或は素顔流行歟」
          とある。額は眉と髪の生え際の間。髪の生え際の化粧は、「ひたいのなり」に直結する。白粉に少しでも塗り残しがあれば見苦しいもので、顔ばかりに塗るのではなく、耳の下・のど・胸までも残さず塗り、際が見えないことが肝要である。云々。守貞はこの引用の後、当時の化粧は淡粧(薄化粧)や素顔が流行したものか、と推測している。
           さて、淡粧が薄化粧なら、厚化粧に相当するのが濃粧である。
          「今の江戸専ら淡粧也文化文政頃は濃粧也京坂は文化以前より今に至り濃粧也又御殿女中は今世皆濃粧也此事のみ御殿女中万治中に違ひ却て江戸坊間万治の風に復すに似たり同書に爪紅をうすくさすべしと云り 爪紅のこと何の時より始る歟繁雑故に文略す」
          とある。守貞の頃の江戸は淡粧であるが、19世紀初頭には濃粧、京都・大阪では、それ以前から守貞の頃まで濃粧、御殿女中は江戸・京坂の区別なく濃粧であったと言う。守貞は爪紅について、繁雑を理由として『女鏡秘伝』からの引用を行わない。ただし、女扮編に爪紅記事は既出である。本連載では106回で紹介している。関心のある方は参照されたい。


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